山本圭壱さんと宮崎の関係
- 2015/06/09 22:00
- カテゴリー:ひむかの【知】
平成27年5月、宮崎のラジオ局で山本圭壱さんの番組が始まり、1月が過ぎました。
宮崎の生活も話されてますので、誤解の無い様、説明を致します。
■社会復帰の支援
宮崎で山本さんを支援する人達は、欽ちゃん球団日向キャンプでたくさんの「笑顔と元気」を頂いた恩返しとして、社会復帰を支援をすることは「大切」と考えています。
山本さんが問題を起した2006年、安部総理が誕生して「再チャレンジ」を主唱しました。一度失敗した人が、何度でも挑戦できること、また挑戦できる社会をつくるという考え方です。
■山本圭壱さんとの関係
事件後、山本さんへ電話を掛けて、東京で会いました。
山本さんは、日向市で生活(謹慎)することを決めました。
日向の生活は、日向キャンプ実行委員会長と副実行委員長が担当しました。
日向キャンプで参加頂いたサーファーの皆さんにも協力を頂きました。
山本さんと日向の生活について話し合い、目標を決めました。
①社会復帰に役立つ資格を取ること。
②ボランティ活動を通じて社会貢献をすること。
当時はマスコミ取材が恐ろしい状況にあり、とても山本さんひとりで資格を取ることは難しい状況でした。そこで、みんなで一緒に資格を取ることになりました。
山本さんは、第一種運転免許(全)、小型船舶操縦免許証(一級・特殊)、フォークリフト運転技能講習修了証、ヘルパー2級、サーファーのインストラクターの資格を取得しました。
ボランティアを通じて、たくさんの方と交流も深めました。
■欽ちゃん球団との関係
平成17年1月、上町商店街振興組合・日向市・日向商工会議所の有志が中心となり、欽ちゃん球団日向キャンプ実行委員会を設立しました。
平成17年2月、欽ちゃん球団の日向キャンプは、地元に「笑顔と元気」をたくさん与えてくれました。宮崎県は経済効果が10億円以上と発表、大変なフィーバーでした。
当時、日向市は、サンパーク温泉の問題で頭を抱えていました。平成14年(2002)7月に発生したレジオネラ症集団感染で1年間営業停止、再開後は、イメージの悪さから来場者数が回復出来ず困っていました。
そのサンパーク温泉をV字回復させたのが、欽ちゃん球団の人気でした。国民的タレントの萩本欽一さんが利用しているということで、知名度が上がり、来場者数が回復しました。
平成18年2月の欽ちゃん球団日向キャンプも、連日、朝の全国放送の番組で紹介されて、全国区の話題となりました。
それから4月後、山本さんが事件を起こしました。
そして、欽ちゃんの「球団解散発言」を報道を知りました。
直ぐ、日向キャンプ実行委員会は「球団解散撤回」の署名運動を始めました。
日向市長と日向キャンプ実行委員長は、集まった署名をもって上京しました。
欽ちゃんに、集めた署名を手渡して、球団を解散しない様にお願いしました。
その後は、ご承知の通り球団の解散は無くなり、翌年に欽ちゃん球団は、全日本クラブ選手権優勝(2年連続)平成26年も片岡安祐美選手兼任監督のもとで優勝されてます。