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- 2015/07/11 00:01
- カテゴリー:ひむかの【知】
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2015年07月の記事は以下のとおりです。
第五十九凶 去住心無定 行藏亦未寧 一輪清皎潔 却被黑雲乘 |
明治3年(1870) 境内地156,463坪、上地により38,870坪に縮小。廃仏毀釈の難にあう。 |
第六十小吉 高危安可渉 平坦是延年 守道當逢泰 風雲不偶然 |
安政6年(1859) 三月十八日、信海上人、江戸小塚原にて歿。 |
■はじまり
平安時代:最後の遣唐使、慈覚大師(円仁)が、天竺霊籤を日本に持ち帰える。
江戸時代:慈眼大師(天海)の枕元に、慈恵大師が現れ
信州戸隠山明神の偈文で民衆を救え」と告げる。
江戸時代:元三大師百籤といわれるおみくじが広まる。
戸隠山 :名前は、高天ヶ原の天の岩戸がここまで飛んできたという伝説に由来する。
高天ヶ原:古事記(神話)から、所在地は、大和、九州、北陸、富士山他と諸説ある。
江戸時代:慈眼大師(天海)が、元三大師百籤を参考に、現在のおみくじを確立する。
観音百籤:大吉、吉、小吉、末吉、末小吉、凶。
第六十一半吉 旧愆何日解 戸内保嬋娟 要逢十一口 遇鼠過牛邊 |
安政5年(1858) 十一月十六日、忍向上人・西郷隆盛と共に錦江湾に入水し、忍向上人歿。 |
第六十二大吉 災轗時時退 名顯四方揚 改故重乘祿 昴高福自昌 |
天保10年(1839) 三月、五十日間本尊御開扉法要。九月、観音十七万人講勧進。 |
第六十三凶 何故生荊棘 佳人意漸疏 久困重輪下 黄金未出渠 |
天保6年(1835) 蔵海上人歿、忍向上人住職となる。 |