⑥街づくり
- 2015/06/25 00:01
- カテゴリー:都市伝説【噂】
街づくりの景観や建替のルールにも関係があると言われてます。
協調立替は、屋根は緑・壁は石壁又は石壁風と決まりました。
後から街づくりに参加したところは「不文律」がありません。
不文律は「ひむかの杜」と「小さな広場」にもありました。
↑ ↑ ↑ ↑最新のページは、上のタイトル「ひむかの杜」をクリックして下さい
お問い合わせ ひむかの動画 スマホで動画 |
|
たくさんの応募ありがとうございました 当日をお楽しみに!
|
|
⇒お問い合わせ ⇒実行委員会・後援・協力 ⇒2012年 前回イベント(動画) ⇒2013年から継続イベント |
|
⇒清水寺 ⇒ 清水寺よだん堂 ⇒ 元祖おみくじは大吉17%凶30% | |
あれから10年 ⇒欽ちゃん球団日向キャンプ ⇒欽ちゃん球団動画 |
2015年06月の記事は以下のとおりです。
街づくりの景観や建替のルールにも関係があると言われてます。
協調立替は、屋根は緑・壁は石壁又は石壁風と決まりました。
後から街づくりに参加したところは「不文律」がありません。
不文律は「ひむかの杜」と「小さな広場」にもありました。
第七十五凶 孤舟欲過岸 浪急渡人空 女人立流水 望月意情濃 |
文明16年(1484) 六月、諸堂落慶。 |
日向市は、古墳(石棺)や謎の巨石が多く点在しています。
巨石と龍神伝説のある大御神社は、パワースポットとして有名です。
大御神社は、紀元前3000年前、海遊民族のシュメール人がやって来て、 シュメール人が信仰する「龍神」を祀ったのは始まり言われてます。
主な理由として、
◎ペトログラフ(岩や石に刻まれた文字や文様)がある。
◎巨大なさざれ岩の前に、自然では無い球体の岩、それを納めるすりばち状の岩が発見された。
◎人工的に加工された洞窟があり、シルエットが昇龍に見える。
第七十六吉 富貴天之祐 何須苦用心 前程應顯跡 久用得高臨 |
文明10年(1478) 四月、梵鐘を鋳る。願阿上人の銘あり。 |
若宮神社は古墳の上に建ってます。
今も円墳1基(1号墳)と前方後円墳(2号墳)が現存しています。
2号墳は、全長80メートル、後円部の直径20メートル、四神四獣鏡をはじめとする多数の遺物が出土しています。
若宮神社の近くに鈴鏡塚古墳(れいきょうづかこふん、円墳)があります。三方の海とのラインが分かり易位置にあります。
鈴鏡塚古墳からは、八鈴鏡や勾玉、管玉、切子玉、直刀、鉄鏃などが出土して、現在は緑地公園として保存されてます。
伊勢ケ浜の入江に面した米ノ山東麓の縁辺部には、横穴式石室を用いた円墳(4~7号墳)が群在して、須恵器や鉄鈷などが出土しています。
被葬者は鉄銛から海に関連した人物と考えられています。
第七十七凶 累滯未能蘇 求名莫遠圖 登舟波浪急 咫尺隔天衢 |
文明元年(1469) 七月、塔以外の諸堂、兵火に遭い焼失。 |
守護神として鎮座する若宮神社から、三方に海が見えます。
若宮神社と三方の海を結ぶラインは、春分秋分・夏至・冬至の日の出の位置に当たります。
古来から、神聖な光の道を妨げてはいけないと考えられていました。
第七十八大吉 但存公道正 何愁理去忠 松柏蒼蒼翠 前山祿馬重 |
応永29(1422) 四月、諸堂落慶供養。 |
若宮神社のラインは、若宮神社からJR日向市駅西口の参道とJR日向市駅東口から細島港へ続く線上です。
若宮神社からJR日向市駅西口の参道の延長線上に、米の山の山頂があります。
日向市内が一望出来る山頂には、一等三角点・電波塔・八大龍石碑が祀られ、中腹に正一位稲荷神社が祀られています。
若宮神社の春分・夏至・秋分・冬至の日の出のラインも遮ってはいけない様です。
第七十九吉 殘月未還光 樽前非語傷 戸中有人厄 祈福保青陽 |
応永13年(1406) 九月、塔・開山堂・西門・愛染堂等焼失。 |