京都・清水寺貫主 森清範師 講演会まで あと81日
- 2015/06/19 00:00
- カテゴリー:清水寺【百籤】
第八十一小吉 道合須成合 先憂事更多 所求財寶盛 更變得中和 |
文永11年(1274) 十二月、火災のため堂宇焼失。 |
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第八十一小吉 道合須成合 先憂事更多 所求財寶盛 更變得中和 |
文永11年(1274) 十二月、火災のため堂宇焼失。 |
第八十二凶 火發應連天 新愁惹舊愆 欲求千里外 要渡更無船 |
正元元年(1259) 四月、火災のため堂宇焼失。 |
第八十三凶 舉歩出雲端 高枝未可攀 昇頭看皎月 猶在黑雲間 |
承久2年(1220) 三月、本堂・釈迦堂・三重塔焼失。 |
第八十四凶 否極方無泰 花開値晩秋 人情不調備 財寶鬼来偸 |
健保元年(1213) 僧兵襲来し、本堂焼失。 |
第八十五大吉 望用何愁晩 求名漸得寧 雲梯終有望 帰路入蓬瀛 |
文治4年(1188) 滝山寺(現・阿弥陀堂)において、法然上人不断念仏に修す。(後に後柏原天皇[1500-26在位]「日本最初常行念仏道場」の額が掲げられ、法然上人二十五霊場第十三番霊場となる。) |
第八十六大吉 花發應陽臺 車行進寶財 執文朝帝殿 走馬聽聲雷 |
治承3年(1172) 五月、祇園社紙人ら襲来し一山鳥有に帰す。 |
第八十七大吉 鑿石方逢玉 淘沙始見金 青霄終有路 只恐不堅心 |
承安2年(1172) 三月、堂宇造営。翌三年十一月堂宇焼失。 |
第八十八凶 作事不和同 臨危更主凶 佳人生苦根 閑慮兩三重 |
永万元年(1165) 八月、興福寺が延暦寺の額板を打ち破るを憤し、僧兵襲来、堂宇焼失。 |
第八十九大吉 一片無瑕玉 從今好琢磨 得遇高人識 方逢喜氣多 |
久安6年(1150) 僧兵襲来し、寺僧と戦う。 |
第九十大吉 一信向天飛 秦川舟自帰 前途成好事 應得貴人推 |
久安2年(1146) 四月、僧兵乱入、火を放ち堂宇焼失。翌年三月、別当長円堂宇を再営、落慶供養す。 |