京都・清水寺貫主 森清範師 講演会まで あと51日
- 2015/07/19 00:00
- カテゴリー:清水寺【百籤】
第五十一吉 修進甚功辛 勞生未得時 騰身遊碧漢 方得遇高枝 |
明治32年(1899) 本堂大修理着工。 |
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第五十一吉 修進甚功辛 勞生未得時 騰身遊碧漢 方得遇高枝 |
明治32年(1899) 本堂大修理着工。 |
第五十二凶 有僭須惹訟 兼有事交加 門裡防人危 災臨莫嘆嗟 |
明治31年(1898) 随求堂・釈迦堂修理。境内整備なり玉垣等新設。 |
第五十三吉 久困漸能安 雲書降印權 殘花終結實 時亨祿自遷 |
明治29年(1896) 八月、暴風雨により諸堂被害を被る。竹林院廃寺。 |
第五十四凶 身同意不同 月蝕暗長空 輪雖常在手 魚水未相逢 |
明治27年(1894) 塔中光乗院・仲光院・智文院整理。 |
第五十五吉 雲散月重明 天書得誌誠 雖然多阻滯 花發再重榮 |
明治18年(1885) 法相宗へ復帰。 |
第五十六末小吉 生涯喜又憂 未老先白頭 勞心千百度 芳遇貴人留 |
明治17年(1884) 十二月、忍向・信海両上人顕彰碑、正就院前に建立。 |
第五十七吉 欲渡長江闊 波深未自儔 前津逢浪靜 重整鉤鰲鉤 |
明治8年(1875) 四月、六十一日間本尊御開扉法要。 |
第五十八凶 有徑江海隔 車行峻嶺危 亦防多進退 猶恐小人虧 |
明治5年(1872) 三月、五十日間本尊御開扉法要。九月、法相宗所轄替にともない、真言宗に所属。 |
第五十九凶 去住心無定 行藏亦未寧 一輪清皎潔 却被黑雲乘 |
明治3年(1870) 境内地156,463坪、上地により38,870坪に縮小。廃仏毀釈の難にあう。 |
第六十小吉 高危安可渉 平坦是延年 守道當逢泰 風雲不偶然 |
安政6年(1859) 三月十八日、信海上人、江戸小塚原にて歿。 |